宇野耕一『ドゥルーズ 流動の哲学』
ガタリだけでなく(そもそもこの入り方がおかしいようだが)、ドゥルーズの「予備知識」もつけておかねばと、解説本を探していた。これが一番おもしろそうだったので購入。著者は実際ドゥルーズの教えを受けた方だけに、ドゥルーズの思想や人となりを伝える文章が一番生々しく感じられたのだ(テキストだけ読んで理解しようということ自体が不遜であると最近気付いたわけです)。例えばプロローグのこんなフレーズに出くわすと、自分のドゥルーズ+ガタリへの期待を言い当てられているようで「ああ、そうか」と納得してしまうのです。
あまり現実的に見えない理念的な思考が、先行する理念と、それによって規定されている不自由な空間を揺さぶり、新たに自由な空気を吹き込むことがある。だから一見不自由に見える理念的な思考が、自由のためにはぜひとも必要なのだ。(中略)私は哲学が好きなのかどうかわからない。哲学の抽象性や理論性が、ひからびたものに思えることがたびたびある。生き生きした言葉をもつ哲学は、そう多くない。重たく硬い言葉に、この世界の現実を閉じ込めようとする知的傲慢も感じる。それでも私は哲学を手放すことはできそうもないし、それが確かに「精神の自由」に深くかかわるという思いもあるのだ。
(前掲書 P.5〜6)
いきなり天啓でも降ってきたように理解できるとは最初から思わないが、それでも、「哲学」が自分にとって何かなどと、あまり問題を複雑しずぎない事が肝要だな。
まだまだぜんぜん内容に踏み込めてませんが。
それと、↓これは、もういちど(というか初めて)ドゥルーズ+ガタリを読んでみようと思ったきっかけの本。