みみのまばたき

2006-2013 箕面の音楽・文学好きの記録です。

デレク・ベイリー

デレク・ベイリーが昨年12月25日に死去したことを知ったのは、大晦日だったと思う。この即興音楽というジャンルの父ともいえる人については多くの人がブログで語ってこられていて、得がたい情報は多いし、どの解釈も興味深いから今さら、遅れてきて何も付け加えることはないのだけれど、その存在はあまりにも超然としていて、やっぱり触れてみたくなってくる。
大学時代に唯一の著書である「インプロヴィゼーション」が出たのは知っていたし、立ち読みでパラパラ読んでみてみたけれど、ちゃんと買って読んだのは、ごく最近になってから。ありがちだけどもネットでいろんな方のレビューを読んだり、大友良英さんがリスペクトをされているのを知ってからである。
一瞬一瞬が関連なく鳴らされる(とされる)ベイリーのソロは、もちろん最初はわかったような気がすれば幸いで聴き流すのにも苦労するパターンで、こちらが音に向かっていくからにはやはり一瞬先を未知なものにゆだねる、みたいなロマンティシズムを過分に期待しているところが(個人的には)あったが、ある瞬間から「ベイリー耳」とでもいいたくなる感覚が自分の中にキノコのように育ってきたのが不思議だった。初期はアントン・ウェーベルンをモデルにしたというのをどこかで読んでなるほどと感じた覚えがあるけれど、ベイリーの演奏はより硬質な有機性(矛盾しているけど僕の中ではそんな感じ)があるように思える。自分にとってはそこがいい。
それに、一気にクラスターを積みあがるように聴こえた次の瞬間に崩しにかかるという呼吸がいつも感じられる、そういう意味でやっぱり音と音に連関がないという説は誤りかと。ただ遺作であるCarpal Tunnel Syndrome「Carpal Tunnel」では申し訳ないがなんだか緊迫感が希薄に感じられる瞬間があって、もしや御大の病気って手が動かなくなってきているでは?と感じたのも事実だった。
この「Ballads」はカバー主体で比較的に聴きやすくて初心者向けかというと全くそんなことはなくて、他者の作品に演奏の最初のモチベーションを置く事によってより厳しく即興性が押し出されているよう思える、相当「渋い」演奏なんじゃないかと思う。大好きなMarc Ribotがリスペクトに溢れたライナーを書いているのがいい。